大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の一人、畠山重忠の功績を記念して、館跡を整備した公園。深谷市畠山の出身の畠山重忠は、平安時代の終わり頃から鎌倉時代のはじめにかけて活躍した武蔵国を代表する武将です。
 1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵時には平家方の大庭景親に味方しましたが、石橋山の戦いに敗れた頼朝が安房に渡って再挙するとこれに従った。以後、鎌倉幕府の有力御家人として活躍したが、頼朝亡き後の1205年(元久2年)、北条時政に騙され、領地から鎌倉に赴く途中、武蔵国二俣川(現在の横浜市旭区)で討死しました。
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駐車場の一部には、へいっけ討伐の戦い、神戸の
鵯越で馬を担いで降りたと言われる銅像が聳え立ちます。



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馬を背負う重忠公をじっくり見ましょう。銅像の下には、重忠公が腰かけたゆかりの石が置かれています。



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運動広場のようになった公園の片側に史跡が並びます。奥の細道探訪記念俳句碑。芭蕉が立ち寄った場所と句が記されています。


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重忠節という歌の歌詞記念碑です。
重忠公没後800年慰霊碑が川本町長によって建立されています。



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重忠公館跡の石碑
建物の中には重忠公とその家臣の墓といわれている五輪塔です。




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伽羅の木は、重忠が先祖供養の為に植えた木の子孫だそうです。
板石塔婆は、重忠公百回忌供養だそうです。


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秩父から進出してきた重忠公の父重能の父は木の根元の石ころでした。
重忠産湯の井戸です。



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井戸の中が見えますが、そう深くはありません。
徒歩5分で重忠公の菩提所満福寺があります。




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1110年頃の創建真の真言宗寺院。重忠の位牌が残され、観音堂には重忠の守り本尊で等身大の千手観音像が安置されています。


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満福寺から徒歩2分で荒川土手です。左は上流、右が下流、河川中流域の姿をしています。




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すぐ近くに史跡鶯の瀬があります。増水した荒川を渡ろうとした畠山重忠に、一羽の鶯が浅瀬を教えたという伝説の地です。


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川面に一段降りた展望台がありますが、川面はあまり見れません。対岸には、荒川に流れ込む滝が2段見えます。



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井椋神社がすぐ横にあります。重忠公の先祖が敬って、
井椋五所大明神を祀っています。由緒ある神社です。



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土手の横は麦畑です。小麦の穂が実りオギが尖っていました。秩父の峰を見晴らす、渋沢栄一が濃ゆなく愛した深谷の地です。



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