長禄元年(1457年)に武州赤塚城主千葉自胤は、赤塚城の周りに、この氷川神社と、先述ブログの諏訪神社も勧請しました。氷川神社は武蔵国一の宮氷川神社より御分霊を勧請したと伝えられます。古くから赤塚・成増の村の鎮守でした。御祭神は、素盞嗚命・藤原広継命です。
東武東上線成増駅、童謡「みどりのそよ風」の作詞者、童謡詩人清水かつらの石碑、ここから徒歩10分で赤塚氷川神社です。
参道入口には、赤塚乳房大神の石碑と欅の巨木です。一の鳥居の後ろには、庚申塔、青面金剛尊などの石碑があります。
氷川神社の参道並木は板橋区文化財に指定されています。保存樹ムクノキの根元からはモミの木が生えています。
参道並木は続いて第二の朱色の鳥居です。そこからさらに参道は続いて大きな石灯籠をすぎます。
ようやく拝殿が見てきました。
まずは手水舎で清めます。日露戦争戦没者慰霊碑に手を合わせます。
傍には百度石が置かれています。
この青銅屋根の神楽殿では、田遊び神事が奉納されます。
青銅屋根の重厚な拝殿です。地元の方々の寄付に感謝します。ソメイヨシノでしょうか?コブだらけのご神木になっています。
拝殿本殿の背後は森になっています。
境内摂末社は、天祖神社八幡神社白山神社御嶽神社浅間神社阿夫利神社榛名神社大国神社などがあります。
右:開運甲子大黒天、左;木曽御嶽塚です。富士塚と同様、木曽御嶽を登拝するため組織された木曽御嶽講中によって造られました。
第二の朱の鳥居の横の小高い丘には、富士塚・浅間神社があります。赤塚諏訪神社の近くにも富士塚がありますが同時期同経緯です。
和光、新座、志木あたり一円に富士塚を造成した「丸吉講」による富士塚だそうです。
頂上へ登ります。結構急登です。頂上の石祠には、慶応4年白子丸瀧講富沢藤七、登山三十三度大願成就と書かれているそうです。
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東武東上線成増駅、童謡「みどりのそよ風」の作詞者、童謡詩人清水かつらの石碑、ここから徒歩10分で赤塚氷川神社です。
参道入口には、赤塚乳房大神の石碑と欅の巨木です。一の鳥居の後ろには、庚申塔、青面金剛尊などの石碑があります。
氷川神社の参道並木は板橋区文化財に指定されています。保存樹ムクノキの根元からはモミの木が生えています。
参道並木は続いて第二の朱色の鳥居です。そこからさらに参道は続いて大きな石灯籠をすぎます。
ようやく拝殿が見てきました。
まずは手水舎で清めます。日露戦争戦没者慰霊碑に手を合わせます。
傍には百度石が置かれています。
この青銅屋根の神楽殿では、田遊び神事が奉納されます。
青銅屋根の重厚な拝殿です。地元の方々の寄付に感謝します。ソメイヨシノでしょうか?コブだらけのご神木になっています。
拝殿本殿の背後は森になっています。
境内摂末社は、天祖神社八幡神社白山神社御嶽神社浅間神社阿夫利神社榛名神社大国神社などがあります。
右:開運甲子大黒天、左;木曽御嶽塚です。富士塚と同様、木曽御嶽を登拝するため組織された木曽御嶽講中によって造られました。
第二の朱の鳥居の横の小高い丘には、富士塚・浅間神社があります。赤塚諏訪神社の近くにも富士塚がありますが同時期同経緯です。
和光、新座、志木あたり一円に富士塚を造成した「丸吉講」による富士塚だそうです。
頂上へ登ります。結構急登です。頂上の石祠には、慶応4年白子丸瀧講富沢藤七、登山三十三度大願成就と書かれているそうです。
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